
着捨てるのはつまらないから。おしゃれを長く楽しむ良さをクリーニングで広げたい【横浜マイスター】
実は、横浜はクリーニング発祥の地。その横浜市西区に70年以上前から店を構える富士クリーニングの3代目である田中幸男さんは、横浜マイスターとして後進の育成にも尽力されています。そんな田中さんに、長きにわたりクリーニング店を営む中で身につけた技術や、仕事をする上で大切にしていることをお聞きしました。
目次
父親の背中を見て、クリーニング師として歩みはじめた

ーークリーニング店を開業したきっかけを教えてください。
私のおじいさんが横浜の西洋クリーニング屋の発祥のところで働いていました。親父も10代の頃からクリーニング屋で働いて、それから戦争に徴兵されて、帰ってきてから自分でお店を作ったのが始まりです。
ーー昭和27年に有限会社として設立されたそうですね。お店はずっとこの場所ですか?
はじめは商店街の一本裏でした。元々うちのおじいさんの生まれが山梨で、富士山の「富士」を取って店名を「富士クリーニング」にしたと聞いています。
ーーご自身も迷わずクリーニングの道へ進まれたのでしょうか。
最初は「会社員をやるから」と言って、そっちの方の勉強をしてたんだけど、大学に行っているときに「大して面白くない」と思ってね。親父が仕事している背中を見ていたらなんとなく寂しさも感じて、継ぐことを決めました。親父が2代目で、私が3代目です。
見て覚えた修行時代。みずから学んだことが今も役立っている

ーー昔の職人さんたちの修行時代はどのような雰囲気だったのですか?
私が子どもの頃は、店には仕事場があって、その裏には畳敷きの飯を食べるところがあったんだけど、多いときには若い人が3人くらい住み込みで働いていました。昔はみんな仕事を覚えるために住み込みでやって、3食は食べさせてもらうけれど、お金は本当に小遣い程度。そこで仕事を覚えて田舎へ帰って独立していきました。
親父のところで修行して独立した人は何人も知っていますよ。親父も若い頃、沼津の遠い親戚のクリーニング店で修行したそうでね。辛くて沼津から三島まで逃げたけれど、駅で見つかって連れ戻されたなんて笑い話をしていました(笑)。昔は給料なんてろくにもらえないで、作業台の上を片付けてせんべい布団を敷いて寝る、そういう時代でしたね。
ーークリーニングの技術はお父様から習ったのでしょうか。
やり方は親父のやっているのを見て覚えました。昔の職人気質ですから「見て覚えろ」で、そんなには教えてくれません。クリーニングの科学的な知識、たとえばなぜ汚れが落ちるのか、界面活性剤やシミについてなどは、組合のクリーニング学院で勉強しました。クリーニング師という国家試験があるのですが、それを取るために基礎の勉強をして、シミ抜きも学んで、自分なりに考えてやってきました。今シミ抜きをやるのに一番役立っているのは、そのときに自分なりにきちんと勉強したことです。
洗濯は科学。知識があれば汚れは落とせる

ーー学校の授業などで子どもたちに教える機会もあるとお聞きしました。
この前も中学校へ行って授業をしてきたのですが、ちょうど子どもたちが理科でイオンの勉強をしたばかりだったんです。衣服や体に汚れがつくのは電気的な性質があるからで、汚れがプラスイオンなら、反対のアニオン系(マイナスイオン)の洗剤で洗うとプラスマイナスで引き合って取れる、という話をしました。
一番わかりやすいのはシャンプーとリンスですね。マイナスイオンのシャンプーで洗うと髪がパリパリになるから、カチオン(プラスイオン)のリンスをすることでちょうど良くなる。洗濯もまったく同じ仕組みです。生徒たちにそういう話をすると「へぇー!」ってすごく興味を持ってくれます。ただ単に石鹸を入れればいいというものではないんですよね。
ーー水の温度や種類によっても汚れの落ち方は変わるのですか?
汚れには種類がありますし、水も硬水より軟水の方が汚れがよく落ちます。お風呂の残り湯は、最後の人が入った後は柔らかくなっているので、実は洗濯にいいんですよ。お湯の温度も40度くらいで洗うと、洗剤が一番よく効いて理にかなっています。そういう理屈がわかっていると、古い汚れを落とすのにも役立ちます。
時間が経って茶色くなったシミは、古い油や汚れが酸化している状態。取り除くには「酸化漂白」しかありません。酸化漂白の漂白力はそれほど強くないけれど、品物へのダメージが少なく、色も壊しません。家庭用でいうと「ワイドハイター」などが過炭酸を使った酸化漂白剤です。一方で、台所用の「キッチンハイター」などは塩素系漂白剤で、漂白力は強いですが色を完全に壊してしまうので白物にしか使えません。そうやって使い分けるんです。
長年の経験と技術が導く仕上がりは、機械には出せない

ーー横浜はクリーニング店が多い印象ですが、現状はいかがですか?
かなり減っていますね。今は大きい会社が数を集めて、大きな工場で機械を使って一気に仕上げて納める形が多くなっています。すべて手作業で丁寧にやる個人店は減っていて、みなさん高齢化して継ぐ人がいないというのが現状です。神奈川県内の組合員も、一番多いときは3,000人ほどいましたが、ついこの間、300人を切ってしまいました。
ーー田中さんは手作業での仕上げを続けていらっしゃいますよね。そのこだわりについて教えてください。
ハンドアイロンでピシッと仕上げると、本当にきれいになります。機械でやるのと、理屈がわかって手作業でやるのとでは、仕上がりが全然違います。お客さんからも「袖を通したときの感じが全然違う」と言われます。ハンドで生地を伸ばしたり縮めたりして洋服の湾曲(立体感)を作るのが、プレスの技術なんです。
着物のシミ抜き技術も奥が深いです。着物のシミは時間が経って古くなっていることが多いので、シミを落とそうとすると地色まで一緒に抜けてしまうことがあります。地色が抜けたら、終わった後に「染色補正」をして、もう一度色を乗せて元の色と同じように戻すんです。たとえばグリーンが抜けてベージュっぽい色だけが残ったら、抜けた青みを足して元のグリーンに戻す、という計算をします。これは自分の目と、それから長年の経験値が必要です。ここまでやるクリーニング屋さんはなかなかいないと思います。
ーーどれくらい経験を積めば職人として一人前と言えるようになるものでしょうか。
どこが一人前かというのは、限界がないので分かりませんね。突き詰めれば限界はありません。
いかに新品に近づけてお客様にお戻しできるかを信条に

ーーお客様からお預かりする上で、大切にしていることや信条はありますか?
お預かりした大切な品物を、買ったときの新品に近い状態に戻してお返しするのが一番良いと思っています。着たときの肌触りも考えて仕上げ剤を工夫したり、のりの他に風合いが良くなる薬剤を自分でブレンドして使っています。そこまで考えている人はなかなかいないのですが、自分の好みとこだわりでやっています。
ーークリーニング師としてやりがいを感じる瞬間はどんなときですか?
やっぱりお客さんに「きれいになった、よかった」と言ってもらえるのが一番嬉しいですね。うちは決して安くはないけれど、きちんとやっているから「良いものはここにしか出せない」と、わざわざ遠くから持ってきてくださるお客さんがいます。
みなとみらいからブランド服を持ってこられる方もいます。他店では心配で出せないような服も、うちなら安心して任せられると言っていただけます。何十年も信頼してお任せで出してくださる古い常連さんもいらっしゃいますし、やっぱり確かな技術へのニーズはありますよね。今の若者にも、一生懸命買ったお気に入りの洋服をちゃんとしたクリーニング店に持って行って、おしゃれを長く楽しむ良さを知ってほしいなと思います。
大切にしたい服がある限り、クリーニングはなくならない

ーーご子息が4代目として跡を継がれるとお聞きしました。
うちのせがれは中学校の頃から「継ぐ」と言っていました。高校生のときには、自主的に学び始めるくらい、迷わずにこの道を選んでくれました。うちのせがれが4代目です。4代でクリーニング店ってなかなかないんです。
ーーこの「横浜マイスター」としての取り組みや、これからの想いを聞かせてください。
クリーニングはなくてはならない仕事だと思っています。ただの「着捨て」の時代ではつまらないじゃないですか。いいコートとかいいスーツとか、ブラシを通してあげるとまったく毛並みが変わるんです。そうやってお客様の思い出の品物をきちんと蘇らせる仕事ですから。
◇◇◇
個人のクリーニング店を町で見かける機会は減っているでしょう。便利な機能素材が増えたりと、時代の変化によるものかもしれません。一方で、思い出の品や、素材や仕立てのいい服のような、長く大切にしたいものはなくならないとも感じます。
ここぞというときには、確かな技術をもったクリーニング師の存在は頼もしいものです。田中さんのお話を伺うと、一生物を長く愛用したいと思いました。
横浜マイスターに会えるのはここ!
住所:神奈川県横浜市西区中央1-4-3
取材、文/ふるかわまき
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※本記事の内容は、本記事作成時の編集部の調査結果に基づくものです。















