
100年使えば木が育つサイクルと一致する。家具の一生を面倒見るのが職人なんだ【横浜マイスター・内田勝人さん】
かつて西洋から横浜に持ち込まれた輸入家具の修理から始まったといわれる横浜家具は、日本の木工技術と西洋家具のデザインとが融和しながら、今日へと続いています。その伝統や技術を唯一継承するのが、横浜マイスター・内田勝人さん率いる「蓮華草元町工房」です。今回は内田マイスターに家具職人として大切にしていることや、技術継承への思いをお聞きします。
目次
ファッションデザイナーから家具職人の道に

ーー内田さんが家具職人の道を選ばれたきっかけを教えてください。
小さい頃から絵を描いたり、ものを作ったりするのが好きでした。高校には進学せずに工芸の道へ進みたかったのですが、親の意向もあって一度は断念したんです。
大学進学のときには美術系も考えたり、建築やインテリアにも興味があったのですが、最終的にはファッションの道へ進んでアパレル企業で働きはじめました。
ただ、アパレルは企画を始めてから製品になるまで1年半くらいかかるんです。春夏をやりながら、もう次の秋冬の新作も進んでいる。4~5年働いている中で、そういうサイクルやファッション業界の体質にだんだん疑問を感じるようになりました。
そんな葛藤を抱えていた中で、ある日、仕事から帰宅してテレビを見ていたら、裸電球の下で、座布団に座って鉋を引いている家具職人が映っていました。その中でキャビネットを2週間くらいで作ると話していたんです。
自分でデザインして、自分で作って、2週間で完成する。これはいいぞと思って、そのままの勢いで退職願を書いて翌日に出しました(笑)。
ーーすごい行動力ですね!退職後は、どのように家具作りを学ばれたのでしょうか。
退職してからは働ける場所を探して、気に入っていた家具店の工房を何度か訪ねたのですが、行くたびに断られてしまいました。
そのうち、工房の人が「訓練校は知っているか」と教えてくれたんです。さらに「どこも技術者は経験者しか雇わない」とも聞かされました。訓練校を1年か2年出れば、経験者という形で応募できるというので調べたら、神奈川県の秦野に木工の訓練校があって。受付の最終日に役所で書類を取ってきて、ギリギリで入校したんです。そこで1年間、木工を学びました。
横浜家具の工房で、運命の再会を果たした修行時代

ーー訓練校を出たあと、横浜・元町の家具工房へ入られたそうですね。
就職活動で最初に行ったのが元町でした。当時は横浜家具があることもまったく知らなかったんです。
案内された工房は、元町の本通りから一本入ったところにある、古い木造平屋でした。中へ入ると、50~60代の職人が10人くらい並んで仕事をしていました。その一番奥にいたのが、驚いたことに僕が以前テレビで見た職人だったんです。
テレビを見たときには、その工房が北海道にあるのか九州にあるのかもわかりませんでした。それが偶然、最初に訪ねた工房であのときの職人と出会うなんて、「ここしかないな」と思いました。
ーー家具職人の修行とは、どのような作業から始まるのでしょうか。
最初は「木取り」の手伝いです。例えばテーブルを作るなら、3メートルくらいある木から、天板に使う板や脚のパーツを切り出し、真四角に削って職人へ渡します。鉋を使って家具を仕上げるというより、むしろ体を使う仕事ですね。まずそれを2年くらいやりました。
ーー先輩の職人からはどのように技術を教わっていくのですか?
基本的には、職人が教えてくれることはありません。朝の「おはよう」と、帰るときの「お疲れさま」以外、声を聞くことがほとんどない。わからないことがあっても、「すみません、この鉋はどう使うんですか」とは聞けない。自分で何とかしなければいけませんでした。
倉庫へ行くと、塗装前の完成した家具がたくさんありました。それを傷をつけないように分解し、構造を見て、また元に戻す。完成した家具が先生みたいなものでした。
でも、教えなかったらできるわけがないって、職人たちもわかってはいるんです。だから、たまに近くに来て、ぼそぼそっと何か言うんですが、未熟な自分には意味がわからない。早くて3ヶ月、遅いのだと10年くらいたって、ふと「あのとき言われたのは、このことか」と気づいたこともあります。
横浜家具は輸入家具のリペアから始まり、日本の暮らしへ

ーー作り手として感じる、横浜家具の魅力を教えてください。
横浜家具の定義は、ありそうで、あまりないんです。職人の間では工房があるのが川を挟んで元町側か、川の向こう側かで違う意識があったので「元町家具」と言ったりもしますが。でも、元町より横浜のほうが世界的に通じるから、横浜家具、あるいは横浜元町家具と呼ばれるようになったのだと思います。
横浜家具は、海外から入ってきた洋家具を修理するところから始まったといわれています。それに携わったのは、和家具の職人や宮大工など、日本の木工技術を持った鉋を使う人たちです。
西洋家具には、和家具にはない曲面があります。西洋ではヤスリを使いますが、日本の職人は「この形を削れる鉋を作ろう」と考えた。一つの面を仕上げるのに、6丁の鉋を使うこともあります。


接合にはホゾとホゾ穴を使います。どこかの部材が折れたとしても、そこだけを作り直して交換すれば、また使える。横浜家具だけではなく、昔の日本のものづくりは、もともとそういう考え方だったと思うんです。
大量生産の時代には、その作り方が時代に合わないものとされました。でも今になると、「ロハス」だとか「もったいない」といった価値観に合うようになって。昔から続けてきたものが、今の時代へワープしてきたような感じですよね。
ーー横浜家具のデザインの特徴はどんなものでしょうか。
最初は海外のものを、そのまま持ってきたり作ったりしていたと思います。でも、外国人と日本人では体格が違いますし、日本の家の寸法にも合わない。そこで高さや幅などを日本の寸法に合わせるようになりました。
デザインはその時代ごとに海外から入ってきたものを元にしていましたが、日本の木工技術で作り、日本人の体格や暮らしに合うように変化していった。それが横浜家具の特徴だと思います。
使う人の生活をイメージしながら作り、年月とともに作り変える

/撮影:ワタシト編集部
ーー家具を製作するとき、どのようなことを大切にしていますか。
お客さんから「テーブルを作ってもらいたい」と言われて、サイズだけを聞いても、その人がどういう生活をしているのかわからないですよね。だから、できればこちらのショールームへ来てもらうか、僕がお宅へ伺います。
いろいろ話をしながら、家や暮らしを見て、デザインを2つ3つ提案したりします。長いときは、1年くらいかけて、本が2冊できるんじゃないかというくらいデザインを考えます。その人の生活になじんで使ってもらえるのが何よりうれしいので。
納品した日に、次の注文をいただくこともあります。家具を持っていくと、「今度はこっちの部屋を見てくれ」「次はこれを作ってほしいんだけど」と言われる。それも、すごくうれしいことですね。

僕は、家具職人は家具を作る人、壊れたら修理する人というだけではないと思っています。
家具が誕生するときがあって、生活に合わせて形を変えることもある。子どもが大きくなったらテーブルを高くしたり、大きくしたり、小さくしたりもする。壊れたら定期検診をして、場合によっては入院や手術をする。どうしても直せなければ、引導を渡すこともあります。
そういう家具の人生に、最初から最後までいろいろな形で付き合えるのが家具職人ではないか、というのが僕の基本的な考え方です。

ーー家具のリペアでは、どのようなことを大切にしていますか。
無垢のテーブルなら、一度鉋で削って塗装をすれば、新品とまったく同じ状態にできます。でも、お客さんがそれを望んでいない場合もあるんです。
引き取るときには、傷を全部修復していいのかを確認します。「この傷と、この傷は残して、ほかは全部取ってほしい」と言われることもあります。見ると、フォークで3本刺したような傷だったりする。でも理由は聞きません。子どもがつけた傷なのか、その人にとって何か思い出があるのでしょう。
だから、直す必要のないものは直さない。新品のようにすることだけが、修理ではないと思っています。
技術の継承には、個人の努力だけに頼らない仕組みが必要

ーー家具職人として、社会に貢献できることは何だと考えていますか。
50年くらい使った家具を元のように直して、さらに50年使ってもらう。100年使えば、木が育つサイクルと、家具として使われる時間を合わせられます。
木は10年では育ちません。それなのに、10年くらいで家具を捨ててしまったら、木が育つ時間と使う時間が合わない。木が育つ長さと、家具を使う長さが一致すれば、循環させられると思うんです。
以前は、新しい家具を作る仕事が全体の8割、9割でした。でも今は、家具が誕生する仕事を50%、50年ほど使われて戻ってきた家具を直す仕事を50%くらいにしたいと考えています。新しく作ることと、直して使い続けることを半々にできれば、家具を100年使う流れに近づけられます。

ーー技術を未来へ継承するために、どのようなことが必要だと感じていますか。
職人から技術を学びたいという人はいるんです。以前、横浜市の家具職人育成講習を開催したときも、5~6人の募集に対して数十人の応募がありました。3か月の講習が終わるときにアンケートを取ったら、ほとんどの人が「もっと続けたい」と答えたんですよ。だから市の講習が終わったあとは自社の工房に場所を作って、後継の息子が講師を引き継いで今も続いています。
でも一人でやっているような職人が教え続けるのは無理ですよね。その間、仕事を止めなくてはいけない。習う人にしても、今の仕事を辞めて小僧として入ることはできませんし、親方もその人の生活まで支えることはできない。だから、教える側も収入を得ながら、学ぶ側も今の生活をすべて捨てずに技術を学べる仕組みが必要だと思っています。
将来的には、多様な分野の横浜マイスターが使える共同の工房があるといいと思っています。国内だけでなく、ヨーロッパからアジアまで、わざわざ海外から日本の木工を学びたいと来る人もいます。そういう人が滞在しながら学べて、横浜の職人が技術を教えられる場所です。
一人の職人だけに任せるのではなく、横浜に残っているさまざまな手仕事を、次の世代へ渡せる仕組みを作る。それが横浜の技術の継続や発展につながると思っています。
◇◇◇
家具の細部のつくりや木目の表情を生き生きと語る内田マイスターの姿に、ものづくりへの深い思いが伝わってきました。取材中に座っていた椅子も、内田さんが手がけたもの。美しいデザインはもちろん、その座り心地の良さに感動を覚えました。
手入れをしながら100年使えるという横浜家具。お話を聞き、実物に触れると、ただ修理するだけでなく、使い手に寄り添うマイスターの思いや技術があるからこそ使い続けられるのだと感じます。限りある森林資源を守るためにも、長く付き合っていける家具を選んでいきたいものです。
横浜マイスターに会えるのはここ
取材、文、撮影/ふるかわまき
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※本記事の内容は、本記事作成時の編集部の調査結果に基づくものです。















