
教わるだけでは身につかない。受け継いだ建具の技を次の世代へ【横浜マイスター・野口正男さん】
釘(くぎ)や金具を使わずに細かな木の部材を組み合わせ、繊細な模様をつくり出す「組子(くみこ)」。古くから障子や欄間を彩ってきた技術ですが、現在では建具職人でも普段の仕事で手がける機会は多くありません。野口建具店の2代目・野口正男さんは、日々の建具製作のかたわら、みずから学んだ組子の研鑽を続けています。横浜マイスターとして技術の発信や後進の育成にも力を注ぐ野口さんに、建具の魅力や仕事への信条、そして技術継承への思いについて伺いました。
目次
突然の解雇から、野口建具店の2代目に

ーー野口マイスターが建具職人の道を選んだきっかけを教えてください。
私は子どもの頃から木や建具が好きだったわけではありません。長男なので、いずれ家業を継がなければいけないのかな、とは思っていました。
大学を卒業した後は、デベロッパーに就職しました。4月に入社したものの、バブル崩壊を迎え、1年目の12月1日に会社都合で新入社員が全員解雇になったんです。それで、翌日から父に「うちで働け」と言われ、家業に入りました。
もし会社が続いていたら、建具屋にはなっていなかったかもしれません。ただ、いま思えばいいきっかけになりました。建具屋を辞めたいと思ったことも、ほかの仕事に就きたいと思ったことも、一度もないくらいこの仕事が好きなので…。
ーーお父さまは、どのように建具職人になったのでしょうか。
父は埼玉県ときがわ町出身で、祖父は山で木を切る仕事をしていました。雨が降ると仕事ができず、生活も苦しかったそうです。それで父は祖父から、照り降りなしの仕事に就くようにと言われ、建具をやっていたおじのもとへ弟子入りしました。
父はもっと仕事を覚えたいという思いがあり、4年ほどで東京へ修行に出たそうです。いろいろな建具屋を回った後、川崎で独立しました。その後、仕事先の農家の方に口を利いてもらい、当時は田んぼだった現在の土地を購入しました。横浜へ移ってきたのは、私が2歳の頃です。
家業だけでは学べない技術を求めて訓練校へ

ーー野口さんは家業に入ってから、どのように技術を身につけていったのでしょうか。
跡取り息子だからこその厳しさはありました。それまで遊んでくれていたいとこのお兄さんたちからも、家業へ入った瞬間、一職人として厳しく指導されるようになりました。いずれはその人たちの上に立って仕事をしなければならないという覚悟も必要でした。
家である程度の仕事を覚えた後、東京に古くからある建具の訓練校のことを知ったんです。
父からは「なぜそんなところへ行くんだ」と言われましたが、どうしても通いたくて、39期生として2年間、週に1回通わせてもらいました。仕事が忙しく、座学には出席できないこともありましたが、加工法を学ぶ実技だけはどうしても受けたくて、前日の仕事を徹夜してでも行きました。
出席できたのは半分ほどの日数でしたが、なんとか卒業させていただきました。卒業試験にも合格し、2級技能士の学科試験が免除になる資格を取得。その後、1級技能士は神奈川県で取得しています。
ーー訓練校で得たものを教えてください。
一番驚いたのは、同世代の若い建具屋がこんなにいるのか、ということです。当時、私の学年は18人ほどで、年齢は18歳から29歳くらいまで。私は27歳ほどだったので、上の方でした。
実家が建具屋ではないのに、自分から建具職人になった人が4、5人いたことにも驚きました。普段仕事をしているだけではほかの建具職人と会う機会はまずありませんから、本当に楽しかったですね。
いまは機械でやる作業も多いですが、訓練校では昔の職人が当たり前にやっていた手加工など、身につけておくべき基本的な技能を学べます。事業所によって仕事の仕方はまったく違いますし、先生によっても言うことが違いますから、教わることすべてが新鮮でした。
神奈川から通っていた同期のうち3人ほどは現在、県の建具の組合の執行部に入っていて、いまも交流があります。訓練校では、技術だけではなく仲間とのつながりを得られたのも大きかったですね。
組子の技術を磨き、念願の技能グランプリ金賞を受賞

ーー「建具」の特徴や魅力を教えてください。
簡単に言えば、枠のある開口部を仕切るための、動かせる道具です。障子やガラス戸、ドアなどを総称して「建具」と呼びます。
毎日みなさんが触れているものですが、「建具」という言葉を知らない人や、読めない人も少なくありません。「ドア」や「扉」と呼ぶ人が多く、「建具(たてぐ)」と呼べるのは業界の人くらいかもしれません。
以前の日本の家屋には、二間続きの和室があたり前にありました。そこには部屋の間を仕切る間仕切り欄間や、煙抜き欄間、猫間障子、書院障子など、さまざまな建具が使われています。二間続きの和室なら、30本ほどの建具が入ることもありました。いまの住宅には和室がなく、開口部も少なくなったため、建具の本数も減っています。

ーー組子の技術は、どのように身につけたのでしょうか。
神奈川県には「継承塾」という事業があり、それは熟練技能者が中堅技能者へ伝統的な技法を教えてくれるというものです。そこで、現在は名誉横浜マイスターである田中利男さんから組子や伝統的な仕口(しくち)などを教わりました。
その後は、さまざまな作品を見ながら独学で学んでいます。組子には昔の文献がほとんどありません。かつては門外不出の技術とされ、自分の弟子にも見せず、夜中の2時頃から組子仕事を始める親方もいたという話を聞いたことがあります。
いまではSNSなどで技術を発信してくれている人もいたりして、昔に比べると、さまざまな情報を得られるようになりました。
ただ、教えてもらうだけでは身につきません。自分で作り、失敗しながら続けることが大切です。普段の仕事では組子建具を作る機会がほとんどないので、自分から作らなければ技術を磨けないんです。

ーー野口さんは、技能グランプリにも出場されています。どのような大会なのでしょうか。
技能グランプリとは、30職種の1級技能士がその年の日本一を決める大会です。建具職種の場合、規定課題では全員が同じものを作ります。材料は会場で支給され、道具は自分で持ち込み、2日間、合計12時間で仕上げます。機械を使える工程もありますが、ほとんどが手加工です。
建具の課題では、一つの部材が少しきついだけでも、組んでいくにつれてしわ寄せが生じ、最後まで入らなくなったり、逆に調整しようとして隙間ができることもあり、すべての仕口(しくち)を、びしゃーっとつけることは至難の業です。
課題は大会の3か月ほど前に発表されます。今回は練習で12本作り、本番が13本目でした。これまで10本以上作ったことはありませんでしたが、過去の優勝者はみなさん必ず10本以上は作って臨んでいたと聞いていたので、まず、10本分の材料を用意しました。10本作った時点でまだ日にちがあったのでもう2本作り、12本。毎回、仕事と並行しての練習は大変ですが、5回目の出場となった2026年の大阪の大会で金賞をいただくことができました。
建具づくりに求められるのは正確さ

ーー建具職人として、もっとも大切にしていることは何ですか。
お客さまに喜んでもらえる仕事をすること。一番は、納期に間に合わせることです。きれいに作るのはもちろんですが、寸法を間違えないことも重要。現場へ持っていって寸法が違っていたら、すべてが無駄になってしまいます。どの建具屋も、一番気をつけていることだと思います。
接合部の仕上げにも、常に気を使っています。一つの部分だけを合わせても、ほかの部分がずれてしまえば意味がありません。全体を見ながら、ぴったり納まるように調整します。長年の勘や経験による部分もありますね。
ーー仕事のやりがいを感じるのは、どのようなときでしょうか。
横浜マイスターに選んでいただいた後、作品を展示した横浜マイスター展を見た取引先のお客さまから、全面に組子を入れた建具を作ってほしいという相談がありました。これまで取り組んできたことが、新しい仕事につながっていくのはうれしいですね。
マイスターに選んでいただいたことや、組合で活動してきたことのおかげでもあります。組合に入っていなければ、技能グランプリに出ることも、展示会へ作品を出すこともなかったと思います。
ーー和室があれば組子を取り入れたいという人も多そうです。
和室でなくてもいいんですよ。洋室のドアや間仕切り、トイレの明かり取りなどにも使えます。現在の主流はベニヤ構造のフラッシュ建具ですが、その一部をくり抜き、小さな組子を入れるだけでも、空間の印象が変わるんです。

ーー精密な加工には、どのような道具を使うのでしょうか。
建具屋は「白柿(しらがき)」や「白引き」と呼ばれる道具で墨付けをします。「二丁白柿」は刃が2本あり、障子などに入れる組子の太さに合わせて幅を調節できます。2本の線を一度につけ、そこへ穴を掘ります。正確に墨付けしなければ、組み上げたときにずれてしまいます。

花形組子用の鉋(カンナ)には必要な形や角度に合わせてさまざまな種類のものがあります。鉋を変えながら一つ一つ部材を削り出していき、それを組み合わせて模様を作ります。鉋には複数の刃が付いているものもあって、すべての刃を均等に研がなければなりません。1か所を研ぎすぎると、ほかの刃も同じ高さになるまで研ぐ必要があるため、刃物の維持が大変です。


受け継いだ技術を若い職人へつないでいく

ーーこれからの建具業界へ、どのような技術や思いを残していきたいですか。
田中名誉マイスターから教えていただいた技術は、後輩や組合の人たちへ伝えていきたいと思っています。講習会を開いたり、技能グランプリが終わった後に作品を持っていき、作り方を説明したりしています。
若い職人にも技能グランプリへ出てもらいたくて、毎回声をかけていますが、なかなか出てくれません。仕事に影響しますし、賞金が出るわけでもなく、練習の材料費も道具代もかかりますからね。
SNSを始めたのも、建具や技術が少しでも広まればと思ったからです。私自身、Instagramを通じて多くの人から教えてもらいました。投稿を見て初めて知った技術もあります。だから、自分が知っていることも、できるだけ発信したいと思っています。
「野口さんの投稿を見ています」と言って、工房を訪ねてくれる人もいます。今回、群馬県から技能グランプリへ出場した若い職人さんも、課題が発表された後、以前の作品を見に来てくれました。
競技なのだから、出場者同士で教え合うことをよく思わない人もいます。「仲良しクラブではない」と考える人がいるのもわかります。それでも私は、競技を通じた出会いを大切にしたいんです。そうした経験を、神奈川県の若い職人にもしてもらいたいと思っています。
◇◇◇
細かな幾何学模様が規則正しく並ぶ組子作品を間近で見ると、その緻密さに思わずため息が出ました。ほとんどの工程を一つずつ手作業で行い、工房には加工する部材に応じた数多くの鉋が並んでいます。野口さんの落ち着いた語り口からも、日々実直に技術を磨いてきた姿が伝わってきました。
取材前は、建具も組子もほとんど知らない世界でした。組子は普段の建具に使われる機会が少ない一方で、トイレの明かり取りなどで暮らしの中へさりげなく取り入れることもできます。SNSも活用しながら技術を伝えようとする野口さんの話を伺い、伝統の技を身近な場所へ取り入れることも、技術継承の一助になるのではないかと感じました。
横浜マイスターに会えるのはここ
取材、撮影、文/ふるかわまき
特集「ワタシトJOURNAL」をまとめて読む

※本記事の内容は、作成時の編集部の調査結果に基づくものです。















